こむぎの優しい時間
日曜の朝。いつもより遅い目覚めの中で、胸の奥がチクリと痛む。
「しまった、6時半…!」
毎朝5時、こむぎの朝ごはんは私との約束だった。
iPadのモニターをのぞくと、ケージの入口で静かに待つ小さな背中。
その姿に、ああ、またこむぎに甘えてしまったと気づく。
今日の記事は、そんな“寝坊の朝”に訪れた、こむぎとの小さな物語。
パパの心のポエム
朝の光が、カーテンの隙間から細く差し込む。
昨日の夜更かしの余韻が、まだ体の奥に残っている。
ぼんやりと目を開けると、時計の針が6時30分を指していた。
──あ、やばい。
ベッドの横に置いたiPadのモニターを慌ててのぞく。
そこには、ケージの入口近くで静かに座るこむぎの姿。
じっと、こちらを見つめている。
何も言わないけれど、そのまなざしが語っているようで。
「……遅いよ」
耳の奥に、そんな声がふっと響いた気がした。
毎朝5時に起きて、お皿にカリカリを入れてあげるのが日課だった。
こむぎの一日も、私の一日も、その音で始まる。
でも昨日は、ほんの少しだけ夜更かしをした。
お酒のグラスを片手に、「明日は日曜だから大丈夫」と油断した。
目覚ましもセットせず、気づけば2時間遅い。
「ごめん、こむぎ…」
急いでケージを開けると、こむぎはふわっと立ち上がる。
その仕草のなめらかさに、眠気が一瞬で吹き飛んだ。
しっぽをゆらゆらと揺らしながら、私の足元をくるりと一周。
まるで、「まあ仕方ないね」と言っているみたい。
食器の音に小さく耳を動かし、
カリカリの袋を開ける音がした瞬間──
こむぎの目がぱっと輝く。
「やっと朝ごはん!」
そんな無邪気な声が聞こえたようで、思わず笑ってしまう。
お皿を差し出すと、こむぎは小さく「にゃっ」と鳴いてから、
ゆっくりと一粒目を口に運ぶ。
その姿が、まるで朝を祝う儀式のように見えた。
ふと考える。
人は「日曜日だから」と時間をゆるめるけれど、
こむぎにとっては、今日も大切な“いつも通りの朝”。
彼女の世界には、曜日も休みもない。
だからこそ、その律儀さと純粋さに、いつも心を打たれる。
ごはんを食べ終えたこむぎは、私の方をちらりと見上げる。
「パパ、今日はどうするの?」とでも言いたげな顔。
少し反省しながら、私は頭をかく。
「今日は、あとでおやつをあげよう。ママには内緒でね」
その言葉に反応するように、こむぎは尻尾をぴんと立てた。
その瞬間、寝坊した罪悪感が、ふっとやわらぐ。
こむぎの存在は、いつも私の心をまあるくしてくれる。
食後、こむぎは窓際に歩いていく。
カーテンの向こうから差し込む秋の光を、じっと見つめている。
その小さな背中が、今日の始まりを静かに祝福しているようだった。
私はコーヒーを淹れながら、ふと笑みがこぼれる。
「こむぎ、今日も一緒にいようね。」
ケージを出て自由に歩き回るこむぎ。
その足音が、部屋の中に小さなリズムを刻む。
たとえ寝坊しても、この時間だけは変わらない。
こむぎと過ごす朝が、私の心を整えてくれる。
飼い主失格のこむぎパパ心の反省文
まとめ
猫と暮らすということは、毎日が“約束”の積み重ねだと思う。ごはんの時間、遊ぶ時間、眠る間。
そのどれもが、彼女にとっては世界のリズムであり、安心の証。
人間が「ちょっとくらい」と思う油断も、猫たちはきっと静かに気づいている。でも、責めることなく、ただ待っていてくれる。
今日のこむぎを見て、私はまた一つ教えられた。
「待つ」という優しさの意味を。こむぎはいつもの時間に起きてと催促してたと思う、それに気づかない私は飼い主失格だと思う、でも人生も猫生も何が起こるか先のことは分かりません、だからこんなこと二度と無いようにこむぎの心に投げかけた。
寝坊した朝に見つけた、こむぎのまっすぐなまなざし。
それは私にとって、最高の“おはよう”の言葉だった。
こんなパパだけどこれからもよろしくね。



